これが今の日本
— 久居O (@origin615) December 9, 2019
という言葉が出てきたら眉に唾をつけたほうがいい
まあ、日本に限ったことではなく
「これが〇〇の現実」「〇〇の民度」
とかね
「個人の気の毒な体験から、それをデカイ主語全体の話にすり替えるパターン」に気をつけた方がいい
お札を貼っておく
バズツイの後に見てくれ pic.twitter.com/QHXomdF0X0
なんつーか
— 久居O (@origin615) December 9, 2019
ある人物が、ある集団の中で、気の毒な目にあったとしよう
するとその人物は、あたかも「その集団に属している人は遅かれ早かれ自分と同じ目に合う」という前提で「ナチュラルに主語を広げて過剰な一般化した話」を組み立ててしまうことがある
我々にもある
こりゃいったいなんでだろうな
注意した上で日頃のあれこれを確認しなおすと、Facebookやツイッターで頻繁に見かけるパターンなのが、「個人の気の毒な体験から、それをデカイ主語全体の話にすり替えるパターン」。個人の実情でも色々と大変だったり悲劇的なものだったり衝撃的な話だと、ついつい感情が揺さぶられてしまうのだけど、その状態で主語がいきなり大きくなって、その大きな主語全体も似たようなものだと誤認してしまう。
これって以前【「早まった一般化」「過度の一般化」というのだな、あの手法って】で紹介した、詭弁法そのものに他ならない。ネタとしては面白い、興味深いので、ついついいいねとかリツイートしてしまいがちなんだけど。
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 https://t.co/GIcKH3C21R 恐らくはここからの引用>>RT pic.twitter.com/aURitN6OVQ
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) December 9, 2019
使われていたイラストは多分ここから。非常に興味深い本なので、アマゾンのほしいものリストに加えておいた。掃除が終わってからの本購入ラッシュまで残っていたら自分で買う予定。
ちなみに「個人の気の毒な体験から、それをデカイ主語全体の話にすり替えるパターン」はよくマスコミや活動家が使うパターン。特異な事例にインタビューをして感情移入させ、最後にちらりと全体がそれと同じであるかのように刷り込ませる。よく見聞きするよね。あるいは昔から繰り返されてきて、ようやくそのパターンを知ることができたまでの話なのかもしれないけど。
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