よく海外で日本人が言う「無宗教って言ったらギョッとされるので適当に答えてる」といった話も、宗教の本質が生活規律だと考えると得心がいく(u ・ω・)自分は無宗教ですとは自分には生活規律がないです、と言ってるようなものとなる。そりゃギョッとされるのも無理はない
— せーぶる@4日目テ-32a (@sandworks) December 14, 2019
今件は昔からよく言われていることだけど、なぜ海外の人が驚くのかの理由について、大変よく理解できる話だったので、覚え書きとして。要は海外の多くでは宗教が生活規律と一体化している...というよりは生活規律のために宗教が存在しているようなもの(むしろそのために生まれたという面もあるのかも)だから、その生活の支えとなる宗教を信仰していないと、生活規律の類が存在しない、自堕落で無節制な存在であると認識されても仕方が無いということになる。そりゃ確かにびっくりされる。
宗教は人間を社会生活の枠に納めるルールのようなもの。それが無いとなればヒャッハーな状態と思われてしまうかもしれない。なるほど。
「クリスマスにフライドチキンを食べ
— busheye (@busheye) December 14, 2019
ニューイヤーに神社に行きます。
実家には仏壇があります」
ただ日本ってほとんどの人は、週末に教会に足を運んだり、毎日数回神様の方に向けてお祈りしたり、赤い本を振りかざして「万国のプロレタリア団結せよ!」と叫ぶことはしないけど、色々な宗教の端々を生活の中に取り入れてしまっているってのも事実だったりする。神様だって仏様だってキリスト様だってアラー様だって「絶対存在しない」と断言する人もさほどいない。
そういう曖昧というか、緩やかな信奉というか、生活の中への取り込み方ってのは、「日本教」という宗教のようなものと考えればいいんじゃないかな、と。
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