今回、ツイッターでご本人が証拠を添えて広めたことで、なんとか番組側も無視できずに認めて一応の謝罪をしたけど、これまで視聴者から「おかしい」と言われてネットで検証されて騒がれながらスルーされてきたことは数え切れないほどあったよね。
— omion (@16331633) December 16, 2019
今回の驚きは、番組側は認めてるのに、新聞社の偉い人とか物書きやタレントやマスコミに関わりのある有名人が「圧力だ忖度だ謝罪の必要はない」と口々に騒いでることだな。正義の目的のためなら嘘偽りは当たり前で当然なんですか?嘘偽りで印象操作されても政治家は黙って耐えろなんですか?へええ。
— omion (@16331633) December 16, 2019
「政権批判はどんどんするべきだが、さすがにああいうやり方は良くない。反省して今後は慎め。」ってなぜ言えないのかってことですよ。それが言える人がいればもうちょっと信頼されるのに。いるのかな?私の目に入ってないだけで。いるといいな。
— omion (@16331633) December 16, 2019
これは当方も先の記事を書いたあたりからもやりと感じていたことで、何件かには直接ツッコミを入れさせていただいたけど、ある種の新興宗教の信者の言及を見ているようで、背筋の寒さを覚えるようなものまであった次第......というか別世界の住民のような?
その辺りのもやもやをズバリと体現化してくれたので覚え書きも兼ねて。要は自身が信奉する「正義」のためならば、どのような手段も正当化される、むしろ当然のことであり賛美されないのがおかしいとすら考えているのかもしれない。倫理観というか、物事の良し悪しの軸がまさに狂信者のそれになってしまっているのだよな、と。
報道ステが印象操作をした事があからさまにわかった世耕大臣の件、咎めも反省もなく当たり前だ何が悪い謝罪はいらないもっとやれ忖度するなとマスコミ界隈の人が揃ってツイートしてるってことは、ニュースや報道ってずっとそういうもんだったんですね。薄々皆思ってたけど、はっきりしちゃったなあ。
— omion (@16331633) December 15, 2019
事実がどうあれ「反体制」という立場で見て考えることが正しい、そこからブレてはならない、みたいな前提がありそうなのはそのせいなんでしょうか。根っからの平民には理解しがたいw
— omion (@16331633) December 15, 2019
報道とかジャーナリズムってのは、まず事実を(真実ではない)伝えるのが前提条件であり、絶対に欠かせない要件となる。それを軽んじて、伝える側の思惑を優先する、そのために事実をよじ曲げるってのは、報道やらジャーナリズムとは別の、活動家によるプロパガンダ以上の何ものでもないのだよね。そのような行為を報道の仮面をかぶって行うという実情が、いかに怖いものであるのか。当事者らは気が付いているのだろうか。まるで毛沢東語録をぶん回しながら街中を闊歩する、文化大革命の同志のようですらある。
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