ふだん息子氏に「学校どうだった?」とか訊いても「別に」しか言わないのに、欲しいものを入手するためなら極度の饒舌となり、ああ言えばこう言う的な詭弁術を駆使するのを散々見てきたので、無口かおしゃべりかなんてのは性格でも男女差でもなく必要に迫られてるかどうかにすぎないと確信している
— ヲノサトル (@wonosatoru) December 17, 2019
むかし、塾講師をやってる知人が、作文苦手な子たちに「お母さん宛に、お小遣いの値上げをお願いする作文を書け」と言って、みるみるうちに作文好きにしてましたよ。( ´∀`)
— バーバラ・アスカ★冬コミ4日目西F50b (@barbara_asuka) December 18, 2019
その逆で、ダラダラしゃべりが大好きなわしも、やな人相手だと何やら静かになります。 https://t.co/7wIsG6PNoN
当方のような立ち位置にある人がこんな事を言ってよいのか少々疑問なのだけど、正直なところ作文が苦手な人ってのは絶対多数ではないかなと考えている。原稿用紙何枚分もの文章をつらつらと書き連ねるとか発狂もんでしょ、という魂の叫びがそこかしこから聞こえてくる。
一方で自分がしたいこと、やってほしいことなどのような、自分の願望にかかわる気持ちってのは誰もが強く抱いているから、その思いと作文を結びつけることで、文章を、語りを作り上げていくことができる。自分のやりやすいこと、したい事から続けることで訓練となり、普通に経験から得たその技術を使えるようになる。今件の指摘はその点について、自分が訴えたいことを文章にしたためさせればよいまでという話。
この方法論って結構いろんなことに応用できるのではないかな。子供に興味や関心のあることから挑戦してもらうことで、経験を得させるってわけだ。
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