ちなみに私は「その話は前も聞いたし、知ってるし」「飽きた、もっと面白い事を書く努力が必要では?」という貴重なご意見に耳を貸すつもりがなく、大事な話は何度も何度も繰り返す所存ですから、何卒ご容赦しやがれ願います。
— 株式会社石井マーク (@ishiimark_sign) December 21, 2019
年末年始という「非日常」を原因として人が毎年死んでく事も嫌なんすよ。
大切な事は二度ならず、何度でも有りだと思います。
— Louis (@Louis62060871) December 21, 2019
プロによる啓蒙は大切なので。
イラストの魅力で全く飽きたりはしませんし。
いつも楽しく考えさせて頂いて居ります。
同じ人が何度となく繰り返して同じようなことを情報発信すると、聞き手によってはしつこいな、もう十分だ、もう知ってるよ、という反発を覚えることがある。確かにそれは一理あるかもしれないけど、発信側は何もそういうことを意図して繰り返しの発信をしているわけじゃない。
理由は大きく2つ。1つは過去の発信でリーチしなかった対象にも伝わるように、反復して伝えている。そしてもう1つは過去にリーチしていても、その効用が薄れている、忘れているかもしれないので再度リーチするように伝える。さらに1つ加えるとすると、反復することで記憶されやすくなる。これって要は広告の考え方と同じなんだよね。
ツイッターで自分の作品を紹介して周知させたい人が、繰り返し発信することに対し、うざいって感じの揶揄をすることがある。それはその人が作品を作った人をしっかりと見ているという証で、むしろ誇ってよい話であって、キレることはないと思うのだけどね。
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