「気持ち悪い」「キモイ」という単語、ボキャブラリーの貧しい人が「自分の脆弱な自我がこの現実に耐えられなくて危機的状況に陥ったので退避行動に移りたい」という意味を明確に言語化できなくて代わりに使ってることがよくある。
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) December 20, 2019
同じような知的精神的レベルの人々の間では、それが「当然」の「勝利宣言」や「一撃いれてやった」扱いになってますよね。貧しい内面がしのばれる発言に思います;
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) December 21, 2019
無論このような話がすべてに当てはまるとは限らないのだけど、確かにこのような状況は少なからずあるのではないかと思う。具体的にどのような部分がどんな感じで否定されるべきなのかを語らずに、単に「気持ち悪い」、さらには「キモイ」との表現で相手を蔑む場合、その相手を悪いもの、否定すべきものとして定義化する思惑があると見てもよいのだろう。そしてその理由は自分のお気持ち。感情論的なもの。
何も具体的に示して反論し正当化を主張することはできないけど、でも自分の引け目をどうにか回復したい。その時に使われる無敵な棍棒が「気持ち悪い」「キモイ」。これなら何の説明も入れることなく、相手に反撃が可能となる。先日の「ファクト・ハラスメント」という表現が類似の方法論としての好例。それは事実だと分かっているけど、自分にとっては不利な内容なので、どうにか覆したい、ちゃぶ台返しをしたい。だからこの自分の負の状態を正当化できる「気持ち悪い」「キモイ」を用いればいいんだ、的な。本当に気持ち悪い存在ならいざ知らず。
はじめまして。
— 歩 or Ex-S歩道橋 (@10gal_Ayumu_146) December 21, 2019
しかもこれこの言葉、「私に生理的嫌悪感を抱かせたお前は加害者であり悪である」という他罰的心理から発せらるれので、「故に存在する事は許されず、排除されなければならない」まで一直線なんですよね...そういう意味では、発する側にとってとても「便利」な言葉であると思います...
「お気持ち」はいかようにもコントロールできるし他人からは分からないから、いくらでも自分のワガママを押し通して正当化できる。だから単に「気持ち悪い」「キモイ」で相手をパージするような手法は卑下されねばならないし、正当化されてはならない。そもそもお気持ちは相手が配慮するものであって、自分自身が主張したり押し付けちゃいけないもの。「お客様は神様です」をお客自身が主張しちゃダメだよ、というのと同じなんだよね。
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