過去の名作(と呼ばれる作品)が、今観ると陳腐に感じるのは当然で、リアルタイム鑑賞時に何故衝撃を受けたのかというと、ソレ以前にはそゆ作品がなかったからだ。その作品が礎になり、枝葉が伸びた結果が現在だから、礎を典型とか平凡とかありがちに感じるのが正しい。
— 国田勝彦 (@kunitakatsuhiko) December 22, 2019
エンタメ作品は特にその時代の空気感に左右されるので、リアルタイムの時代に実感を持てないと共感も得難い。でもね、ファンタジー小説なんかで定番だった光の剣を、そのものズバリの映像で表現したのはライトセイバーが初めてだったんだよ。ソレを目撃した時の衝撃は言葉に尽くせないものだったんだ。
— 国田勝彦 (@kunitakatsuhiko) December 22, 2019
エンタメ系の作品に多く見受けられる現象なのだけど、昔自分が遭遇した、観賞した時には大いに感動したり深く感銘を受けたものなのに、時が経って今になって見直すと、肩透かしの内容でしか無かったということがある。見ているものは同じなのに、何でこうも印象が違うのだろうか。
色々と理由があるのだろうけど(成長して感性が変わったとか経験が豊富になったとか)、大きな理由として挙げられるのは、指摘されている通りそれが(自分にとっての)はじめの一歩だったからに他ならない。
ゼロの状態から出てきたものには非常に驚かされ、感銘を受けるけれど、それが世間一般に広まって当たり前のようになった状況下では、そのサプライズ的なものは得られないのも当然の話。
分かりやすい例を昨今の事案に例えると、異世界転生をした主人公が異世界の社会慣習や文化に触れると大いに驚き感銘を受ける。同様に異世界の人達が主人公のいた元の世界の文化や技術を披露されると、やはり驚きを覚える(逆に非難される場合もあるだろうけど)。今では当たり前になった食品だけど、雪見だいふくとかいちご大福も登場当時はビックサプライズ的な印象を受けたものだ。「いきなりステーキ」も然り。
ある意味、エンタメで成功を収めるのには、常に新しいものを見出す必要があるってことなのかな、と思ったりもする。
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