ああ、ここらに間違いがありますね。
— KGN (@KGN_works) December 22, 2019
「正しい」情報はしつこいくらい出し続けないと、何も変わりません。
一つでっかい記事を書けば何か変わる!なんて幻想をお持ちなら、その幻想こそ諦めないと前に進みません。
必要なのは忍耐です。 https://t.co/GFtPQD9W7U
「正しい情報は、とても退屈」
— KGN (@KGN_works) December 22, 2019
「正しい方法は、とても地味」
それをどう料理していくか、という工夫は必要ですが、基本は『地味で退屈で進歩があるのかどうかも怪しく見える』ような代物ですから、派手さとは無縁です。
言うべき内容が劇的に変わる事ってほとんどないんですよね。
— KGN (@KGN_works) December 22, 2019
だいたい皆さん、耳に胼胝ができるほど聞かされてる事ばっかりですw
時々新たなエビデンスが加わりますが、それも「論文一本出ました」だけで変わることはそうそうない。
公共交通機関や工事現場などでの声を挙げたり大げさに見えるアクションで確認作業を行うことに対し、無意味だとか変な行動だとせせら笑う筋がある。当たり前のことをくそ真面目に何をやっているのだと。しかしながら、正しい、そして大切な事柄は何度でも繰り返し、そのたびごとに確認をして、その確からしさを間違いないものとしなければならない。毎年年末になると行われる餅の喉つまりの注意喚起にしても、毎年毎年バカみたいに同じ事繰り返してと思うかもしれないけど、トラブルが、トラブルの要因が無くなったわけではないのだから、繰り返さねばならない。
ワクチン問題がいい例だよね。ワクチンが普及して対処しなきゃならない病理がほとんど目に留まらなくなると、ワクチンなんて必要ないじゃないかといいだすおバカさんが出てくる。現状を維持するためにそれが必要なのに、現状を見て対処の方法などいらないと言い出す。
地味だろうと何だろうと、正しいことは何度でも繰り返し周知させていく必要がある。それが当たり前になると、無いものとして考えるおバカさんが出てくるから。新しく生を受けた、その界隈に入って今まで無垢だった人が逐次加わるので、その人に向けた周知が必要なのはもちろんだけど。これってあれだ、インフラの必要性・大切さは繰り返し何度でも教えとく必要があるってのと同じだ。当たり前が一番難しいし大切。
ニュース性、という点では......絶望的なくらい地味な事のほうが多いからなあ。
— KGN (@KGN_works) December 22, 2019
そのへんが、インチキを流行らせる本質的な理由の一つでもあるんですけどね。
なんせ派手な話なんかほとんどないもんですから。
「記事を書いて売る」仕事との相性の悪さ、もあるんだよねえ。
— KGN (@KGN_works) December 22, 2019
なかなか辛いところじゃないかなとは思います。
「繰り返し書いてるんだけど...」
— KGN (@KGN_works) December 22, 2019
「あと10倍くらい繰り返して、それで聞いてくれる人が数人増えたらめでたいのです」
という感じじゃないかなー。
なんせ医療系のネタは届けなきゃいけない相手が無関心層なので、そう容易くはないのです。
ただ指摘されている通り、正しいこと、当たり前のことってのは当然インパクトに欠けるから、地味ではあるしニュース性に乏しくなるので、報道界隈は大変嫌う傾向がある。目立たないのでお金にならないから。メディアがフェイクニュースやら偽医療を大好物とするのも結局はそれなんだよね。目立つしお金になるし名も売れるから。
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