webを主戦場にされてる漫画家さん、漫画の趣旨を理解できてない@に敏感に反応しすぎて作品を説明的に改変しちゃうの、正直ちょっと勿体ないと思う。少数ながらアンチが付くのが避けられないように、普通はわかる文脈を把握できない人も少数ながら出てくるものと考えた方がいいのでは。
— PKA (@PKAnzug) December 23, 2019
インターネット、特にコミュニケーションの機能がついているサービス、中でもソーシャルメディア、とりわけツイッターは、他人とのハードルがやたらと低いものとなっている。受け手側がどのように目を通すかは自由だけど、とにかく誰にでも意見を投げることは可能となっている。それこそ編集部あてではなく作者個人の住宅のポストにファンレターを投げ込むような感覚で、さらにそのファンレターのコストは事実上タダに近く、居酒屋でくだをまくような気軽さで行うことができる。テレビに無意識のうちに入れているツッコミと同じように。
だから漫画家に限った話ではないのだけど、創作者にはその類の思い付き的な意見が無造作に投げ込まれることになる。しかも中には指摘されている通り、全体から見れば少数派の特異な意見、困ったちゃん、世の中の物事の理解が難しい人からの話も可視化される形で届いてしまう。そのような特異な意見に振り回され、自分のスタイルを変えたり、作品に手を加えたりするのは、ちょっとどころかかなり勿体ない。
その類の意見は大抵においてその人のお気持ちでしかなかったり思い付き程度のもので、多くの人にとっては何の問題もないどころかプラスに働いていたりもする。すべての意見をパージしろ、耳を塞げというわけではないけど、世の中には色々な人がいるのだなあ、ぐらいな感想を抱いた上でスルーしてしまうのが、多数の人にとっても作り手本人にとっても良いのではないかなという気がする。
...これ、今日の先行話の除夜の鐘と同じ方向性な気がする。声高な特異の人に振り回される必要性はどこにもない。振り回されることで多くの人が損をする、不幸になるのならなおさらではある。
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