「制度に問題があると認識する」
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) January 5, 2020
「制度を守らない」
両者は別物。制度に問題があると認識しているからといって、それが制度を守らない事への免罪符にはならない。それが正当化されると、すべての制度の拘束性が無くなる。「この法は問題があるので守りません」と主張すればいかなる法令違反も文字数
似たような話は以前から何度かしているし、同一視して自分の行動を正当化している人が後を絶たないので繰り返さざるを得ないのだけど(グレーゾーンの話とかだね)。特定の制度に限らず、社会通念や規則で作られた、守るべき制度、ルールなどは、それが存在することで多くの人が便益を得ていることになる。その内容に問題がある、不利益が生じるという認識があったとしても、それをもってして制度を守らないことを正当化するだけのものとはなりえない。
もしその正当化が認められるものとなるのなら、「自分はこの制度、法には問題があると思うので守りません」と主張することで、あらゆる制度や法を無効化できる。そしてその問題があるという指摘の内容は別に正しくなくてもかまわないのだから、まさにお気持ちマフィアのやりたい放題となってしまう。ヒャッハーな世界と同じ。
ヒャッハーが分かりにくいのならば、活動家やテロリストと同じだと考えればいい。原稿社会の仕組みが気に入らない、自分の理想に合致しない。そう考えるのはよいけれど、だからといって法を犯して世の中を混乱させたり他の人に迷惑をかけることを正当化しちゃいけない。それをやったら、自分も他の人から同じようなことをされるまでの話でしかないことに、気が付くべきだ。
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