報道そのものは欠かせない存在に違いないけれど

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新型コロナウイルス関連で扇動されている、必要以上に騒いでいる人の少なからずは、報道の必要以上の煽りや不正確、不適格な情報をベースとしているのを見て、つくづく思ったこと。

報道という仕組みは健全な社会の維持のためには欠かせない存在で、これが無いと人々は窮屈な日々を過ごさねばならなくなる。けれど現状ではその仕組みを運用する人たちの品質が悪辣で、しかも悪意に満ちている、あるいは自分達の思惑を果たすための道具として悪用している事例が多々あるので、有効に使われていないどころか問題が多々生じてしまっているのが実情。


このような実情であることを改めて考えると、実のところ今の日本が抱えている問題の多くは、報道界隈の中身が総入れ替えされてよいものに置換されることで、相当レベルにまで改善されるのではないかと思っている。というより報道の中の人達の悪業や、それを利用している人達によって社会が痛手を受けているケースが多すぎるよね、と。

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このページは、不破雷蔵が2020年2月17日 06:40に書いた記事です。

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