不安とか涙とか感傷的とか精神論とか、昨日の会見に報道がこぞって感情論の題名を使っているのを見て、「社会不安は報道が作る」「感情が入っている題名の記事は読む価値がない」を改めて実感。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) February 29, 2020
普段からの標語的な話ではあるのだけど、昨今の新型コロナウイルスに絡んだあれこれ、とりわけ先日の総理の会見に対する報道や有識者の論説などにおいて、顕著な動きとして見受けられたので、半ば以上再録の形となるだろうけど、あらためて注意喚起的なお話として。
社会が揺らいだりどたばたすると、本来は正しい情報を適切な形で不特定多数に公知するのが報道の社会的責務であるはずなのだけど、実情としてはむしろ煽って注目を集めて金稼ぎをしたり本来の内部的目的を果たすためのツールとして使おうとしている動きをしてしまう。題名で不安とか涙とか感傷的とか精神論といった、感情論や書き手の気持ちを盛り込んだものがずらりと並ぶにつけ、本来の報道の目的・主旨はどこにいったのか、社会不安は報道が作るのだな、という実態を改めて認識せざるを得なくなった。
それとともに、感情表現が入っている題名の記事は読む価値がない、入っているのが確認できた時点で脇に寄せて無視をして構わないという原則が改めて確かなものであると認識できる次第ではある。
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