「既存のメディアの弱体化」じゃろ?
— ながし (@Pnagashi) March 17, 2020
政府が情報発信をする際に、広く伝えるためには新聞、テレビなどのマスメディアを利用するのが一番だったが、既存メディアはそれに胡座をかいて正しい情報発信をせず、それに留まらず不遜にも自社の主張の為に曲解、サボタージュ、捏造までするようになった(続) https://t.co/zd2Q0NCn66
フンダラ語っている方のプロフィールを見てみたら、労組でしたとさでおしまいの話ではあるのだけど。既存のメディアの方々がガーガー言われている話へのツッコミとして、弱体化したからというのがあった。弱体というよりは品質の低下、元々低かったことの暴露という気もするけど。いや、その双方が同時に起きているのだろう。列挙されている話はすべて最近のことだろうか。昔からそうだったのでは。
ネット以前は、それでも政府は既存メディアを利用するしかなかったら、既存メディアに配慮せざるを得なかったが、ネットが発達したら政府自身が情報発信できるようになって、既存メディアのフィルターを通さない生の情報が流れるようになって、既存メディアのダメさが露呈したのがこの10年だった。(続) https://t.co/eFAC92sRmI
— ながし (@Pnagashi) March 17, 2020
それだけではここまでの凋落はなかったかもそれないけれど、更には各分野の専門家の中の専門家が惜しげもなく自分の知識を発信するようになって、既存メディアにでてくる「専門家」がメディアの台本に沿ったことを言う役者でしかないことが分かってしまったことも凋落を促進したのだろう。(続) https://t.co/peP4bnSOhV
— ながし (@Pnagashi) March 17, 2020
「メディアの弱体化は民主主義の弱体化を招く」なんてのは既にお伽話になりつつあって、そうした自己認識の改革をしないといくら角付き合わせて話し合っても復活の目はないんじゃないかなぁ?
— ながし (@Pnagashi) March 17, 2020
「我々が社会の木鐸である」なんてのは、マスコミの外の人間はもうとっくに信じてないんだから。 https://t.co/yn2E3J2V3l
このような状況を促進化させたのは、やはりインターネット、特にSNSとスマホの存在が大きいのだろう。ネットの普及で第一段階、2005~2009年ぐらいかな、そしてスマホとSNSの普及となると2011~2013年ぐらいから、明らかに変化が生じている。可視化、情報の蓄積と検証の容易化、そして情報発信のハードルの低下。
結局は既存メディアそのものがいわゆる悪しき既得権益と化してしまって、硬直化してしまっているのだろうなあ、と。問題なのはそれに当事者が気が付いていない、あるいは気が付くと自分自身の身の破滅につながるから気が付こうともしていないのか。
よくメディア界隈は「永田町の常識は世間の非常識」と語っているけど、実のところは「メディアの常識は世間の非常識」となっているのが実情なのかもしれない。
コメントする