社会的責務を果たさない報道にそれが前提の対価を得る資格はないのでは

| コメント(0)


新型コロナウイルスの話に関しては、震災後の放射線周りやモリカケなどと同様、いやそれ以上の酷いレベルで、報道界隈の誤報虚報印象操作的な情報発信が目立つ形となっている。その情報に聞き手は右往左往させられて、鉄板の上で跳ね踊るかつお節のような状態になっている。新華社通信とかイタルタス通信(元タス通信)みたいなもの。

ただ電波媒体を国が持つというのは、例に挙げた通信社の国を見れば分かる通り、共産主義とか独裁国家的な感が強いのは否めない。好き勝手に国が放送電波を使って情報提供をするのは危険だ、という思惑を抱く人は少なくない。

だからこそ民間の放送局には、国が呈する情報を正しく速やかに分かりやすく公知する社会的責務が生じている。その責務を果たす対価として、様々な恩恵を放送電波を使っている企業に提供しているわけだ(見方を変えればインターネット経由での「放送局」はそういう関係・しがらみから逃れることができる)。

で、今の放送媒体はその社会的責務を果たしているかな、という話であって、それができていないっぽいから国家がストレートな情報を直接電波で流した方がいいんじゃないかなという話が出てきてしまっている。そういう話が出るぐらいに、現状が報道メディアの品質に関して危機的な状況にあるということに、どれだけの人が気付いているのだろうか。

気付くだけの資質があれば、そもそもこういうことにはなっていないだろうな、と。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2020年4月 4日 08:07に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「朝日新聞の「布マスクは不要だ」記事と実情と」です。

次の記事は「色々な墓標がカプセルガチャに」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30