記事を書く人とタイトル付ける人が別の新聞社のスタイル、もう止めた方がいいのでは。
— JSF (@rockfish31) April 10, 2020
単行本などではよくある話で、最近では執筆者自身もソーシャルメディアで情報発信ができるようになったので、その内訳的なあれこれが出てくるようになったのだけど。執筆者が書いたタイトルが編集側の思惑で変えられる、さらにはまったく別物に差し替えられてしまうケースがある。要は執筆者が指定したタイトルではインパクトが弱い、アピール度が不足しているから、編集側で勝手に差し替えてもっとよいもの、目を引くものにしてしまいましょうというもの。
単に日本語的に間違っていて直さないとマズいとか(意図的に日本語としてはあまりよろしくない表現であることは往々にしてある)、タイトルとしてはふさわしくないフレーズが用いられているとかならまだしも。「読者に注目してもらえるようにインパクトのあるフレーズを」「編集の専門家に任せなさい」との思惑で勝手にタイトルを変えられると、執筆者の立場としてはあまり面白い話ではないし、タイトルが本来の意義である「本旨の要約」すら果たさないものになってしまい、「とにかく内容を読んでもらう」ためという意図が優先されてしまったのでは本末転倒。
というか、本旨を上手くタイトルに反映させるという編集能力・創作力が欠けている編集が、その類の話を「ネット時代は特に、とにかく読んでもらうのが必要なの!」「この表現が流行だから使うのが大切なの!」とばかりに、本旨とはかけ離れたタイトルをつける行為が、どれほど執筆者側を愚弄しているのか、どこまで理解できているのだろうか。
タイトルの勝手替え、しかも本旨を無視したあおりコピーの濫用は、羊頭狗肉とかイエロージャーナリズムを肯定するものでしかないのだよね。いわゆる悪質なまとめサイトとどれほどの違いがあるのだろうか。
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