防疫行政って結局防衛行政と同じで、それをしたからといって直接プラスになるようなことはほとんど無い(直接関与する産業も潤うというほどのものでは無く)。マイナス幅を減らすようなもので、プラスに持ち上げるものでは無い。だから戦果が見えにくく、評価もされにくい。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) May 13, 2020
先日景気ウォッチャー調査のコメントを眺めていて思ったこと。新型コロナウイルスの対策が良い例なのだけど、防疫行政って結局それをやったところで何かプラスになることが直接目に留まるというか確認できるようなものはなく、マイナスが生じるところを防いだってことに留まるのだよね。間接的には例えば平均寿命が延びるとかいうのはあるけど、それだって数年単位のレベルで何となく統計の上で相関関係的に浮かび上がってくる程度。手をつけないで生じるダメージって、まさに因果関係としてのものなんだけど。この辺りが理不尽。
これって防衛行政とか防災行政と同じ。守りってのはマイナスを減らす行為であって、プラスにはならない。元寇で防衛戦には勝ったけど敵地に攻め込んだわけではないので恩賞としての土地をあげられなかったから、武士たちの不満が高まったという話を思い出す。
ともあれ、目に見える戦果がないと評価はされにくい。目に見えないからこそ大切なものではあるのだけど。
政治家が「目に見える」業績を追求してそれを喧伝することの弊害というのはいろいろな話があり,例えば米国でも新規の道路や橋梁建設に予算は回るが保修整備は後回しになる等は指摘されてますね。災害等でも「危機対応」は見えるけど,「予防」は見えにくい。
— umedam (@umedam) May 13, 2020
「PCR検査!!!123」とかもそれに近いものがあるのかも。一般有権者/消費者はとかく「安心」(≠安全)を求めるものだし。それに現政権が(支持率を犠牲にしても)阿らない点については評価されるべきかと。
— umedam (@umedam) May 13, 2020
新型コロナウイルス関連で出てくるさまざまな魑魅魍魎たちの詭弁狂言も、結局はこういう話となるのかな、という気がする。ぱっと見で目立つもの、評価を受けそうなものを推奨していることが多い。まるでドラマ仕立てのような話の展開でないといけない、という感じ。
でもそれって本当に必要なものか、やらねばならいものかどうかとは別問題なのだよね。明らかに数字が出るけれど、その数字は意味があるものなのか、よく考えてから話の良し悪しを決めなきゃならない。声が大きいだけのペテン師に振り回されていたらいけないのだよね。
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