安全を以て安心を伝えるのがマスコミの仕事の一つのはず

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論理的に正しいこと、理路整然としていること、物理的にあっていることを差し置いて、不安だから、自分がそう思っているから、理解できないから、気分的にというどうにでも取れる理由で不安を生じてしまう。それは仕方の無いものではあるけれど、だからこそその無意味などころか害すら成すお気持ち不安を解消させ、安心を与えるのは、事実を、科学的に正しいことを伝えるマスコミ、報道の責務の一つのはず。というか社会的責務としてそういうことをしなさいという不文律のようなものがあり、だからこそ色々な特権が与えられている。

けれど現状ではむしろ逆、新型コロナウイルス流行に関することでは、そのような動きが多々見受けられる。そして何かあってもネットが悪い、SNSが悪いとばかりに責任転嫁をするケースも。

生き物の本能として生死にかかわるようなことには目を向けたくなるものだから、ネガティブな話に食いつきやすいということで、そういうものを選んだ方が仕事になりやすい、成果を得やすいという考え方なのかもしれない。嫌いな人、都合の悪い人にダメージを与えるための最適解を選んだ結果なのかもしれない。さらには報道の人自身の品質が低レベルで、単に分かっていない、シロートな考えでの語りなのかもしれない。多分はこれらの複数要素の融合(混ざり度合いはケースバイケース)なのだろうけど。

まるで「オオカミが来たぞ」と騒ぎ、慌てる村人を見て楽しむオオカミ少年のようだ。

そういうことをしでかし続けて、自浄作用の気配すら感じられない存在に、どれほどの存在意義があるのだろうかと考えると、みじんこサイズすらないのではないかな、という気がするのは当方だけではあるまい。

恐らくは総括...という言葉がアレならば反省や検証の類をしてこなかったので、悪い意味で進化してしまったのだろうな。あるいは元々このレベルでしか無く、それが可視化されるようになったまでの話なのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2020年5月17日 07:51に書いた記事です。

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