マスコミの連中、厄災時に民心を惑わせて社会不安を醸成する社会悪でしかないですね。こんな時くらい公共心が発揮できないようならやめちまえとしか言いようがない。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) May 16, 2020
科学的に正しいことやエビデンスがあることに対して、理解は出来ても心情的に不安が起きるのは仕方ないとして、そういったものに安心を与えるのはマスコミの仕事の1つだと思うんだけど、何故かそれをしているところは見たことないですね。真逆のことばかりしてる。
— ヴァレたん(@valechi) May 16, 2020
率直に言って、あんなに簡単に良心をドブに捨てられるものなのかと慄然とします。買い占め厨や転売ヤーの比ではない巨大な影響力があるのに、大規模な社会不安や恐慌を醸成して恥じるところがないとか、人倫に悖る所業ですね。
— 黒猫亭(CV:大塚明夫) (@chronekotei) May 16, 2020
しかも都合が悪いことはネットやSNSのせいにすり替えたりと、ほんとにどうしようもない...
— ヴァレたん(@valechi) May 16, 2020
論理的に正しいこと、理路整然としていること、物理的にあっていることを差し置いて、不安だから、自分がそう思っているから、理解できないから、気分的にというどうにでも取れる理由で不安を生じてしまう。それは仕方の無いものではあるけれど、だからこそその無意味などころか害すら成すお気持ち不安を解消させ、安心を与えるのは、事実を、科学的に正しいことを伝えるマスコミ、報道の責務の一つのはず。というか社会的責務としてそういうことをしなさいという不文律のようなものがあり、だからこそ色々な特権が与えられている。
けれど現状ではむしろ逆、新型コロナウイルス流行に関することでは、そのような動きが多々見受けられる。そして何かあってもネットが悪い、SNSが悪いとばかりに責任転嫁をするケースも。
生き物の本能として生死にかかわるようなことには目を向けたくなるものだから、ネガティブな話に食いつきやすいということで、そういうものを選んだ方が仕事になりやすい、成果を得やすいという考え方なのかもしれない。嫌いな人、都合の悪い人にダメージを与えるための最適解を選んだ結果なのかもしれない。さらには報道の人自身の品質が低レベルで、単に分かっていない、シロートな考えでの語りなのかもしれない。多分はこれらの複数要素の融合(混ざり度合いはケースバイケース)なのだろうけど。
まるで「オオカミが来たぞ」と騒ぎ、慌てる村人を見て楽しむオオカミ少年のようだ。
そういうことをしでかし続けて、自浄作用の気配すら感じられない存在に、どれほどの存在意義があるのだろうかと考えると、みじんこサイズすらないのではないかな、という気がするのは当方だけではあるまい。
恐らくは総括...という言葉がアレならば反省や検証の類をしてこなかったので、悪い意味で進化してしまったのだろうな。あるいは元々このレベルでしか無く、それが可視化されるようになったまでの話なのかもしれない。
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