先日のハッシュタグ事案で一部において「誰でも自由に発言してもいいじゃん。文句言うな」という話がありましたが。別にいいのでは。ただ、芸能人だろうと知識人だろうと、自分の発言には責任が伴うのには変わりなく。そして公知力の大きな人にはその責任もまた大きなものとなるまでの話。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) May 19, 2020
発言責任の大きさはフォロワーの数(メディアでの知名度を含む)と相関があって、拡散を考慮すると対数的に増加するんじゃないかと思ってまする https://t.co/V7I1c1glDC
— Mirror CLS (@rorrim1971) May 19, 2020
先日の某ハッシュタグ事件で色々とツッコミを受けたりその挙動の不自然さに疑問符をレンガブロックレベルで投げつけられた人達から、「別に知らなくても、自由に発言してもいいじゃん、文句言うな」的な話がドヤ顔語りをされている状況が複数見受けられたので、エアリプ形式になるけどさらに追及する形でのツッコミ。
実のところ誰でも自由に発言してもいいということに違いはない。ただ、芸能人だろうと知識人だろうと、自分の発言には責任が伴うのには変わりない。そして公知力の大きな人にはその責任もまた大きなものとなるまでの話。そしてソーシャルメディアの場合は周知度が累乗的に、対数的に増加していくから、発言への責任も相応なものになる。不特定多数に向けたものであるという実情は、放送メディアを使っているのと同じだからね。
ツイッターだからつぶやきなんだし、別にいいじゃんという反論があるかもしれないけど、多数のフォロワーがいて、しかも社会的権威の肩書なりを持っている人は、それが単なるつぶやきであったとしても、マイクでつぶやきの声を拾ってラジオで放送しているのとさほど変わりは無い。あるいは駅構内の館内放送を使っているようなもの。それがいやなら、メモ帳につぶやきファイルを作って入力していればよいまでの話。それとも何かな。自宅内でのラフな格好と同じ感覚で、街中を歩いているのかな?
他人に見られるような場では、それを理解した上で行動すること。このシンプルな話がなぜ理解できないのか。自由は相応の責任が伴うもの。自由に行動してあとは何の責任も問わなくてよいというのは、単なる自由奔放でしかないのだよね。子供のうちに習っているはずなのだけど。
付け加えるのなら、あなたが自由に語れるのなら、あなたの言にツッコミを入れるのもまた、自由でなくてはならない。その観点でも「別に知らなくても、自由に発言してもいいじゃん、文句言うな」という話は論理的におかしい次第ではある。
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