「最近のメディアは誤報やフェイクの訂正は小さく目立たないものに」

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何か世の中で大きな動きがあるたびにクローズアップされているお話だけど、その度合いが加速度的に大きくなっているな、という感は強い。2009年の総選挙前後とか、2011年の震災以降とかが良い例だけど。情報の質や特性が変化をしてきたからなんだろうなあ。

そして指摘されている通り、誤報やフェイクが独り歩きして拡大解釈されて浸透し、それがあたかも事実であるかのように刷り込まれてしまう。訂正は無し、あってもてへぺろレベルで小さくするのみなので、誤報やフェイクによる間違った情報の浸透はほとんど訂正されない。

ゲッベルスが言ったとされる(実際には違う)「嘘も100回言えば本当になる」的な話で、「嘘も大きな声で言えば本当だと思い込ませることができる」だな、と。半ばそれを目当てでやっている感すらある。報道という名の論説の展開とかね。新型コロナウイルスの流行後、特にこの傾向が顕著だったりする。

でもこれって最近のメディアの傾向ではなく、昔からだったのではないかな。昔から同じようなことをやっていたけど、情報の蓄積や検索、再検証が容易になったので、可視化されてバレやすくなったまでの話のような気がする。


確かに昔は複数紙の内容を見比べて検証するとか、普通の人はしないしできなかったからねえ。ましてや一次ソースに当たるとか、関連情報を調べるとかいうレベルになると、その方面の専門家や仕事でやっている人でないと無理だったからね。

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このページは、不破雷蔵が2020年5月28日 07:47に書いた記事です。

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