予備費の件といい、議事録の件といい、少し調べればすぐに分かるような話を、意図的にとしか思えないようなやり方で問題があるように騒ぎ、社会を叩く手法を、よりによって報道が連発する状況は、どのような解釈をすればよいのでしょうか。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) May 29, 2020
ここ数日の間に、新型コロナウイルス対策としての予備費の件とか、議事録の件とか、社会常識を知っている・経験している人、仮にそうでなくても調べれば実情がすぐに分かるもの、あるいは論理的なものの考え方ができれば容易に理解納得はできるものについて、意図的としてしか思えないような表現の仕方で「問題がある」と騒ぎ立て、国や政府や社会を叩く報道が相次いでいる。
さらにそのような話に、政治ジャーナリストや有識者などの一部が同調して騒ぎを大きくしている。仮にもあなたたちはかような話には正しい解説をして愚かな報道をたしなめる立場ではなかったのか。
このような状況をどう判断すればいいのだろう。
本当は分かっている、調べればすぐに分かるのだけど、意図的に分からないふりをして騒いで叩きに利用している・扇動しているとするのなら、報道の立場としては失格で、それは単なる活動家でしかない。本当に分からずに素で騒いでいるのなら、報じる立場としての知識力・常識力という根本レベルの話として失格としか表現のしようがない。
つまり、いずれの可能性としても、アウトになるのだよね。
...もう一つの仮説として「自分達は本当は分かっている。けれど一般市民には分からない人もいるかもしれない。だからその市民目線に立って、分からないという前提で騒いでいる」というのがある。もしそうなら、失格云々の話ですらなく、単なる莫迦としかいいようがない絶望的な結論にいたるのだけどね。
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