選んだ側にも責任がある

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先日、発信する側にとって都合の良い情報や思惑、考え方を持つ人物を出演させたりインタビューしてその内容を喧伝し事実であるかのように公知し、何か問題が生じてもその人物が語っただけだ、語ったという行為そのものは事実だから何の問題もないという、1円パチンコのような方法論を報道媒体などが多用しているという話をした。それと深いお話。

どのような存在か、方向性を持つ人物なのか、語ろうとしているのかは、事前に調べればいくらでも分かるし、その上で誰を選ぶかの取捨選択権は報道する側にある。さらには編集することだってできる。

そのような状況である以上、報道側が何の責も取らない状態が続いているってのは、やはりおかしな話ではあるし、だからこそ現状のような傍若無人ぶりが生じているのだろうな、と。これって例えるなら、料理店で賞味期限切れの捨て値の食材を買ってきてそれをそのまま出したり調理した上で出すようなもの。食中毒が起きても「出したのはうちだけど食材はうちで作ったわけじゃないから責任は無いよ」と主張するようなものだからね。ましてや食材の品質が怪しいことを知った上での話ではあるし。


製造者責任とでもいうべきなんだろうか。気楽な稼業というか無責任状態が生じているからこその問題だと思うのだな、昨今明確化しつつある報道のあれこれな問題って。

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このページは、不破雷蔵が2020年6月 1日 07:14に書いた記事です。

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