知人の住職に聞いた話。
— 砂____の____女 (@vecchio_ciao) June 2, 2020
「元々、葬儀も法事も簡略化したいのに世間体とか親戚の圧力があってできなかった人たちが、"コロナのせいで"という口実を得て、都合良くどんどん簡略化している」
わかる。
先日子供の入学式だったのですが、よくある市議会議員や来賓挨拶やらが、全くなくなり、とても快適でした。
— k-dash (@kdash15) June 4, 2020
似たような話は色々な界隈で生じているとは思うのだけど、これは顕著な例だなということで、目に留まった話を。新型コロナウイルスの流行を防ぐという観点で、人の集まりを忌避しても特に咎められない状況が生じていることから、当事者にはあまり好かれていないことが多い慣習について「新型コロナウイルスのせいで」という大義名分でパスをすることができ、しかも怪訝な顔をされないという話が出ている。
この類の話って統計を取ることが難しく、数理的な裏付けを提示するのは困難ではあるのだけど、いかにもありそうではあるし、ツイッターでも似たような話はちらほら見聞きするし、実のところ当方自身も一件このような理由でホールドされたままになっている事案があるので、そういうことなんだろうなあ、という感はある。
「新型コロナウイルスのせいで」というと、何か言いくるめられていると反発する向きもあるかもしれないけど、要は「疫病のせいで」ってことだからねえ。
見方を変えれば、このような傾向は、少なくとも新型コロナウイルスの治療薬なりワクチンが開発されるまで、継続されるだけの理由がある。長丁場になれば、慣習が一気に変わってしまうきっかけになるのだろうな。
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