それって、80年代に店頭の菓子類にこっそり青酸カリを混入させて「どくいり きけん たべたら しぬで」の脅迫状で有名な『グリコ森永事件』が契機なんですよねぇ。 https://t.co/86ytmoaf7W
— たわしこ (@yg7tawashiko) June 6, 2020
だからグリコ森永事件の時代を知っている日本人であれば、今のお菓子の個包装を「無駄」の一言で切り捨てるようなことは言わないと思ってたんだけど、それを知らない世代が増えたということなんでしょうね。
— たわしこ (@yg7tawashiko) June 6, 2020
先日話題に上ったこの話。要はグリコ・森永事件をきっかけに、異物混入リスクを軽減させるための個別包装が始まった的な話。どうも某新聞社のネタ記事も大きく絡んでいるようなのだけど、この「契機」と「普及浸透」を同一視して読む人が少なからずいるようで、少々頭を抱えている。
世間一般に認識される、明確な意図をもって行われるようになったのは、多分それで間違いないのだろうけど、現状のように普及浸透したのもこの事件がきっかけ、というわけではない感はある。
昔は子供も多くて、お菓子も大袋がおやつの一回で消費だったのが、大人がちょっとおやつ休憩に一、二個たべるようになったのかという消費形態の変化もあるので、個包装になったお菓子を一気に食べるとゴミが多くて邪魔と思うのもわかる。(甘党の自分のこと)
— 小比良 和威 (@ohira_y) June 7, 2020
個包装を無駄とみるか、個包装がなければ湿気ったりして食べられなくなるのを無駄とみるか。
— 小比良 和威 (@ohira_y) June 7, 2020
指摘にある通り、技術の進歩とか小世帯人数化・高齢化、さらには食生活の変化(豊かになってきた)などの色々な要素の組み合わせの結果と見た方が間違いはない。飲料水にしても小柄な入れ物のが増えてきたのは、一度容器を開けたら飲み干せるか否かという問題が大きくかかわってきているわけだな。
あとは「ちぎりぱん」の登場が印象的。小分けにして食べられるってのはアイディアとしてはシンプルだけど画期的であるのと共に、そのような需要が多分に存在して供給すればビジネスになると判断されたから。セブンイレブンの黄金食パンも同様で、少数枚入りが大いに受けている。
まぁ、この辺りは論文か何か、探せば出てくるとは思うのだけど。セブンの黄金食パンとかちぎりぱんは時代の節目・変わり目を実体験したということでよく覚えているので、その辺も合わせて覚え書き。
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