人に勧める勧めないとは別だけど、本棚の底から読んでなかった古典SFを見つけたんで読もうとしたら、ガジェット説明の多さや設定とか時代描写がもはや異質で、読めないの。面白いと思うところまで行けないの。昔読んだのは、懐かしいねで読めるし、「闇よ、集え」はそれなりに面白く読めたんだけど...。 https://t.co/VO6Jxugp9i pic.twitter.com/IfHdfHFd8B
— 岡部いさく (@Mossie633) June 14, 2020
「昔の古典SFにはもはや読む価値はない」と言うつもりはないし、もちろん「不朽の名作」や「ジャンルの金字塔」もあるだろうし、読めば読んだできっと面白いんだろうけど、昔のSFの中には読むために乗り越えなきゃならないハードルが高くなってるのもあるんだなあ、そうなる前に読んでおけばよかった。
— 岡部いさく (@Mossie633) June 14, 2020
本棚に納めている古い創作系書籍を読み返してみたり、古本屋や図書館でちょいと懐かしみを覚えて手に取ってみたり、何らかのきっかけで古いものに目を通した時に覚える違和感。それこそ信長公記とか枕草子とかいうレベルにまでさかのぼれば話は別だけど、数十年の単位での古い古典創作品だと、よく生じる問題である。
この類の創作小説って、その時の最新技術をベースに未来や異世界を想定しているので、現状や現状の社会環境から想定できる未来や異世界とはかなり軸がずれたものとなってしまっているのだよね。例えばはるかな未来で黒電話が使われていたり、カセットテープで録音が行われていたら首を傾げるに違いない。宇宙船の中で記憶媒体としてMOが使用されていたらどのような感想を抱くだろうか。ましてや紙テープ式のコンピューターだったら。
また、書き物のスタイルとかパターンも変わってくる。昔はそれが主流だったけど、今では打ち捨てられている、傍流のものだったりすることもある。
そういう意味で、「乗り越えなければならないハードルが高くなる」という指摘は間違っていない。美味しいパンには違いないけど、時間が経つと固くなり、かむのに難儀してしまうようなもの。
あとは指摘されていないけど、あえていうと、読み手が年を取って集中力が欠けてきたり、視力が落ちて読み難くなるという問題もある。こればかりはどうしようもないお話に違いない。
コメントする