「つまみ食い文化」の現状と良し悪し

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情報の伝達・保全・検索・再生手段、要は質というか特性がインターネットの登場で劇的に変化したことにより、情報にかかわるあれこれは分量がけた違いに増える形となった。今までちょっとした味見をして実商品を選んでじっくりと食べていればよかったのが、サンプル品が次から次へと多種多様なものがいくらでもやってくるので、それらをひょいひょいとつまみ食いしているだけでお腹がいっぱいになってしまう。幕の内弁当を食べているような感じで、実商品を買う必要性がなくなってしまう。昔はR18系の動画のサンプルだけでよかった云々というネタ的例えがあったけど、それが今やあらゆる情報分野に広がった形。

そのような環境だからこその現状であり「つまみ食い文化」なのであって、それが余裕がないから云々というのは筋が違う、分析の仕方が間違っていると言わざるを得ない。

そしてこのような状況は日本に限らないし、例えば楽曲業界で顕著化している。自分のライブラリにお気に入りのデータが山ほどぶち込まれているので、新たに買う気にはならないような感じとなっているし、つまみ食い程度でいいかなという充足感を得るためにはストリーミングで十分という形になる。本ならば立ち読み、ざっと読みで十分、買い貯めする必要はなし。

「つまみ食い文化」は色々と問題もある。最大の問題点は、カウチポテト感覚が正義となるので、蓄積がされず、軽薄なものばかりが提供され、後には何も残らない形となるということ。読み切りの売り逃げ的な雑誌を毎回買って、読んだらすぐに捨ててしまうような感覚。今では紙媒体の雑誌ですら無く、ウェブなりアプリ上の漫画がその需要を満たしている。

この状況はまさに「本棚の無い家」そのものであるし、当方のサイトが抱える問題と同じ。「つまみ食い文化」を検索もヨイショしているので、当方のサイトのような構造のものが軽視されるようになったと考えてしまう。

三度の食事をとらず、おやつばかりずっと食べている。そんな感じ。それが正しいと持てはやされる時代。お気持チンピラな社会学者や政治学者が蓄積も裏付けも立証も理論的な考察も無く、その場その場で勢いだけの論評を成し、高い評価を受ける時代。

それでいいのだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2020年6月17日 07:54に書いた記事です。

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