最近、ようやく自分にとってのVtuberがどういう存在なのかハッキリと認識できて、「自分の部屋(ディスプレイ)の傍らで勝手にゲームとかやって盛り上がっててくれる顔と声の良い友人感覚の存在」なんですよね彼女ら。あと、うんちく系Vの人たちはまた別で、声を得たやる夫とかAA文化の延長線上の存在
— YU-SHOW (@YU_SHOW) June 3, 2020
自分の部屋にいて勝手にゲームしてくれてて、特に気を使う必要もないし(居たきゃ勝手に居ろ感覚)、盛り上がりっぷりが楽しいので、もう友達が家に上がり込んでくることもなかなか無く、自分でゲームを遊ぶ気力とかも少なめな我々にとって、本当にありがたい存在だと思う
— YU-SHOW (@YU_SHOW) June 3, 2020
動画で相手を認識できるYtuberとかVtuber。実のところVtuberはAIなりロジックがコントロールしているケースもあるのだろうけど、多分はその虚像は人間がトレースしていて、人の息吹を覚えさせることができる。触ることもできないし、息吹を感じることもないけど、疑似的ではあるけどそこにいる、という存在を覚えさせられる。
そのような状況は指摘のある通り、友達が自分の部屋で好き勝手にだべっている、何だかほんわかした環境に違いない。他方、語り部的なVtuberは大学の先生とか家庭教師みたいな感じなのだろうか。
いずれにしても今の世の中ではあまり体感できない雰囲気。子供にとってもそうだし、大人にしてもそう。雰囲気というエネルギーを吸って生きているのが人間であるから、こういう雰囲気をYtuberやVtuberが作ってくれるのは好ましい話には違いない。
こういう実情を感じ取っているからこそ、YtuberやVtuberの人気が出るのだろうな、と。
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