ポテサラの話で思い出したけど、昔、SEの人だかのツイートで奥さんが「今日は手抜きでごめんね」って言うと褒める人がいたな。
— 地雷屋二号店@約束の土地へ (@mine__0) July 9, 2020
彼らの世界では「手抜き=ショートカット」なので工数を少なくする効率化に成功しているからと言う理由だったと思う。
物事は考え方と捉え方。
先日のポテサラの話も結局のところは、自作できるものを購入で済ましてしまうとは何事だという、お気持チンピラ的なものというか手作り万能主義者の戯言のような気がするのだけど。第一、今のポテサラの品質を確認すれば分かるけど、よほどのものでない限り、総菜のものの方が安上がりでしかも美味しい。
「手抜き」という言葉を悪しきものとして受け止めるってのは、本来は行程をサボって省略したり放棄したことで、明らかに品質が悪化したり不具合が生じた場合、なんだよね。耐久力を無視して柱を除いたり、壁の中にゴミをぶち込んでしまったり、土台工事を適当にやってしまって傾きそうな欠陥住宅とかが良い例。
しかしながら「手抜き」ってのは多分に指摘されているように、同じ結果を出すのに手間を省けるような手立てを講じたものの表現のはず。SEに限らずデジタル界隈では、特にその傾向が強い。エクセルのマクロとかが超好例だよね。全部入力していくのと、マクロで計算してあっという間に終わらせるもの。結果も精度も同じなら、手抜きの方がよいに決まっている。
というか「手抜き」って本来は「効率化」「最適化」の意味もあるわけで。その観点ではむしろ評価すべき話ではあるのだけどね。ポテサラの件にしても、金銭というリソースを有効に使い、手間とか材料の腐らせリスクとか、味の酷さの可能性を減らすことに成功しているのだから、良い意味での「手抜き」と評価されるわけで。
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