「説得力」ってものへの警戒が足りないと思うのよ。
— タクラミックス (@takuramix) July 15, 2020
説得力のあるものに出会った時に、その説得力にそのまま説得されちゃうとどうなるかというと、その典型例としては日本の90年代だと「オウム真理教」とかね、もっと身近な例だと詐欺も説得力の為せる技。
説得力を理由に信用してはダメなのよ。
説得力のあるものを信じなくてどうする、という疑問を持つ人もいるかもしれないけど、指摘を読み通すとその真意に気が付くはず。説得した内容が正しいものであれば問題ではないのだけど、悪い事、間違っている事でも説得力の高さによってそれが良い事、正しい事だと誤認した上で説得され納得してしまうことはよくある。某もんた氏のテレビ番組で勧められた商品は絶対に良い効用を持つから買い占めろ、的なもの。
信じるか否か、正しいと判断するか否か、良いものか悪いものか。その振り分けは説得力で行ってはいけない。それに気が付かないと、詐欺師にパチモンを売りつけられることになる。
説得されるってのは、内容を理解して信じること。つまり、分かりやすいこと。でもそれが正しいこと、良い事であるとは限らない。けどそれが説得力の高さで信じ込まされてしまう。まさに話の上手さに丸め込まれるようなもの。
この構図って「分かりやすいと正しいは別物」と同じなんだよね。分かりやすいものが正しいとは限らない。けれど分かりやすいものだから、自分が理解した・説得を受けたものだから間違っているはずがないと誤認してしまう。
このトラップは日常生活においてもごろごろしているので注意するにこしたことはない。
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