「俺の指摘通りに修正すれば面白くなる」って、当たり前の話でさ。だってその人の好みに寄せて修正してもらうんだから、その人視点で面白くなるのは当然なわけですよ。「自分の指摘通りに修正したら面白くなった。だから俺は指摘できるスキルがある」なんて、ダメなアドバイザーの典型思想なんだよね
— 青井きりん@ライター&編集者 (@aoikirin_writer) July 26, 2020
そもそも指摘っていうのは「こうすれば良くなるかもしれない一意見」なわけで、その通りに直したらかえって作品が持ち味を失うっていうのもよくある話なわけですよ。「こうすれば絶対面白くなる」なんて狭窄的なアドバイスには耳を貸すに値しないわけで。
— 青井きりん@ライター&編集者 (@aoikirin_writer) July 26, 2020
今件は指摘されてなんか1メートル台の耳の垢が取れたようなすっきり感(そんな大きなものはない)。それぐらい腑に落ちる話に違いない。多様な切り口、表現方法でコンテンツに対して「自分の考えたふうにすればもっともっと面白くなる。今のままではもったない、つまらない」という形のご指導をしてくるケースがある。いわゆるアドバイス罪みたいなもの。その内容が事実(真実ではない)に基づいたものならともかく、方向性や感性によるものであるならば、それは主張した本人による思惑を前提としているのだから、その人の思惑通りになればその人にとっては良く見えるようになるのは当然。
例えば料理で自分の嫌いなピーマンが入っていた場合、「この料理からピーマンを除けばもっと美味しくなる」と言われても、それを喜ぶのは指摘した本人を含むピーマンが嫌いな人に限られる、という次第。
そういうことを生業とし、世間一般受けするような姿勢でアドバイスをするポジションの人ならともかく、一般の人の場合は往々にして「自分が面白くなると思ったから」「自分の好みに合うようになるから」という形でのアドバイスとなってしまう。それは結局「自分の好きなものにしろ」という話でしかない。
まぁ、実のところ。大金持ちがパトロンとして大枚払って、自分の好きな方向性のものを作れ、と言うのなら話は別ではあるのだけどね。
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