終戦記念日ですね。「あの過ちを繰り返さない」とよく言いますが、国レベルの意思決定はともかくとして、私たち一般市民がするべきことは何でしょうか。それは、かつて民衆を煽り戦争へと駆り立てた新聞やテレビなどのメディアに対する「リテラシー」です。
— 燈 (@tomoakari) August 15, 2020
軍や軍需産業を「死の商人」と言うことがありますが、人々に恐怖と混乱を撒き散らすほどに発行部数を伸ばすことができるマスメディアもまた、死の商人の一人です。
— 燈 (@tomoakari) August 15, 2020
戦争の悲劇を繰り返さないために、私たち一般市民がするべきことは、彼等へのNOです。この半年で私たちはそれをよく学んだはずです。
この半年間、私たちは嫌というほどマスメディアの恐怖を煽る喧伝にさらされてきました。国が危機にあって人々が冷静で正しい情報を必要としている中で彼らマスメディアがやったこと。それを私たちは体験し、覚えています。それをずっと忘れないでいましょう。
— 燈 (@tomoakari) August 15, 2020
直接戦争のツールをやり取りすることになる軍需産業や、戦闘行為に携わる軍をして、「死の商人」と表現することはある。忌むべき存在として社会的に毛嫌いしても問題が無い、むしろそうすることが健全な社会を織りなしていくことに欠かせない、的な。定期的に話のネタとして挙がってきてそのたびに専門筋に叩かれる、軍需産業が儲かるから云々とか、軍関係の道具があれこれなのは、儲けを得るためのものなのだとか。
他方、指摘されている通り、終戦記念日の「報道」のあれこれの内容、そして例えばここ半年ばかりの新型コロナウイルスのあれこれや、中国に関する報道を見るに、むしろメディアこそ「死の商人」とのフレーズにふさわしいのではないかとする指摘は、あながち間違っていない、ピントがずれたものではないという気はする。
あえて適切に表現すれば、メディアという構造、仕組みそのものではなく、メディアという仕組みを悪用している中の人達(メディア関係者、メディアの中の人)こそが、「死の商人」なるもの。物事を分かりやすく正しく伝えるという、与えられた仕事もせずに何をしているのだろうか、という感じではある。
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