9/11で犠牲になった警官や消防士への哀悼の意を表する旗を持ち込んただけで、高校のフットボールチームは出場停止処分。
— Masayoshi Nakamura (@masayang) September 15, 2020
これを受け入れたら、他の政治的メッセージも受け入れないとだめだから。
スポーツと政治は切り離せ、ってことだよ。 https://t.co/XK7O2cvWUg
そう。それも今回のテニスの全米オープンだけ「特別許可」みたいな感じで。本来は他競技で禁止されているような政治運動は競技中及びその前後ではやるべきではない。 https://t.co/EbqxEG81rJ
—ユーロ売り - Social Distancing (@euroseller) September 15, 2020
某テニス選手の思惑は本人に近い関係にある人の立場が多分に影響しているようだけど、だからといって無視しちゃいけない話に違いはなく。
どのような理由があろうとも、スポーツと政治は混ぜちゃいけないし、片方をもう片方に利用してもいけない。正義だから、正しいから、間違った話だから別にいいのでは、悪い話ではないだろうとの意見が多々あるけど、それではその正義とか正しいとかいうものは、どこの誰が決め、その正当性は誰が保証するのだろう。区分はどのように設定するのか。
区分は思惑次第だということになるのなら、その人の思惑でいくらでもスポーツを政治に利用できるようになってしまう。あっという間に歯止めが効かなくなり、何でもアリになる。それはもうスポーツではない。
今回の話に限らないけど、判断基準をお気持ちだの思惑だの正義だのというような、曖昧で人の考え方次第でどうにでも采配できるものにしてしまうと、おおよそは悪用されろくなことにならない。適用対象そのものが汚染されてしまう。ならばきっちりとゼロイチで、ダメなものはダメと明確な区分をするべきなのだな、と。
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