いやぼくは全然愛してますよモラル。
— うぉると (@wolt556) September 18, 2020
国境の両替でお札を抜き取ろうと外国人の周りに人だかり作ったり、宿の共用冷蔵庫にある他人の飲食物を盗んだり、行列の先頭に割り込んで怒鳴ったり、外国人からぼったくった上に嘲笑したり、パスポート取り上げて賄賂請求したりしない事を言うんでしょモラルって https://t.co/H82Ob81jEs
あとスーパーのレジ周りに唐突にいらなくなった生鮮食品を置き去りにしたり、会計前に飲み食いしてたり、人が寝てるドミトリーでいきなり照明つけたり、夜中3時に宿のスタッフが客を叩き起こして「飲もうぜ!」って言ってきたり、人のスマホの充電ケーブル借りパクしたりとかもうあああああ
— うぉると (@wolt556) September 18, 2020
日本に長くいると空気のように当たり前すぎるのがモラル。むしろ「空気抵抗ウザい!空気無くなれば良いのに!」とか言ってるようなもん。
— うぉると (@wolt556) September 18, 2020
成文法ではなく不文律のようなものであり、経験則によって構築されている部分も多分にある、モラル。それを守らないと個人の範囲ではプラスとなるかもしれないけど、社会全体としてはマイナスになるからこそ存在しているもの。公衆衛生などでよくあるものだけど、そのモラルは幼い時からの日常生活の中で学び、理解し、習得していく。だから保護者がスットコだったり学校や近所の人たちがオタンコナースな人ばかりだったりすると、モラルの低い人間ができあがってしまう。そこまでいかなくても国や地域でモラルの中身が随分と変わったりもする。
だからこそモラルは日々の生活を平穏無事にしていくための知恵であり、欠かせない存在に違いない。それこそお金の使い方とか自動販売機での物の買い方とか自動改札機の利用の仕方と同レベルの話なのだろう。さらに指摘されている通り、空気のようなものだと思った方が適切かもしれない。普段は意識することすらなく、自分がこなしているという考えはないけれど、当たり前のように存在していて、それを常日頃から活用している。もしそれがなければどうなるのか。まさに「空気が無くなればよいのに」である。
モラルは空気のようなもの。だからこそ、モラルを守らない人のことを「空気を読まない」というのかもしれない。
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