でも一番大きいのは「戦前戦後、昭和40年代までの映画産業はよく儲かった」という揺るぎない事実。何しろ娯楽は本と映画とラジオの時代。この中で「動く映像と音」が同時に見られるのは映画だけ。そりゃあ一億人がこぞって映画館に行きます。
— 神野オキナwith警察庁私設特務部隊KUDAN発売中 (@OKina001) September 20, 2020
これに本当は「芝居」と講談落語などの「劇場」がはいるんだけど、地方によっては、それすらなかったので、直接アクセスしやすいのはこの三つだったというお話(補足)。
— 神野オキナwith警察庁私設特務部隊KUDAN発売中 (@OKina001) September 20, 2020
なお、地方芝居もこの頃は儲かってたそうです。
どれくらい地方芝居が設けていたかの実例。1965年(昭和40年)の琉球新報。
— 神野オキナwith警察庁私設特務部隊KUDAN発売中 (@OKina001) September 20, 2020
「おきなわ」という大作芝居の延期と予告の広告。
沖縄芝居の常設小屋が、今のジュンク堂のある通りにあり、その名前が残って今も「沖映通り」と。 pic.twitter.com/lcPH0AK7Ki
1970年ぐらいまではモリモリ入場者がいた次第 60年あまりの間の映画館数の変化をグラフ化してみる(最新) https://t.co/opGTahIFH3https://t.co/sUshm5r1Fz pic.twitter.com/guEKagYR9N
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) September 20, 2020
映画館長者的な存在がかつては存在していたというお話。動くものは娯楽としては当然楽しいし、日常生活には無い「ハレ」の時間を過ごせるとなれば、それこそ海外旅行とかディナーショーみたいなポジションだったのだろう。そもそも生活様式とか情報の位置づけとか価値観そのものも大きく違っていたし。
ただ、映画館の入場者数はもう少し前から急速に減少を始めていて、1970年代初頭にはすでに2億人たらずにまで減り、ほぼ横ばい状態にシフトしていたんだよね。だから昭和40年代までは儲かっていたというのは、ちょっとタイミングがずれているかもしれない。昭和40年代初頭ぐらいまで、かな。
カラーテレビと白黒テレビの一般世帯普及率推移。消費動向調査から。1957年当時は7.8%。1960年半ばまでには一般世帯のほぼすべてにテレビは浸透済。 pic.twitter.com/pUIgDficod
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) August 26, 2015
ライバル視されているテレビの普及率を見ると、1960年代半ばまでにはほぼ9割にモノクロテレビが浸透していた。映画館の利用者が急減したのはこれが主要因だろう。さらに1970年代に入るとカラーテレビがモノクロテレビに代わって普及し始め、映画の利用客はさらに減っていく、と。
無論映画には映画なりの魅力があることには違いない。それでも「動く映像」という魅力の観点に限れば、テレビでも十分代用できた。しかも自分の選択で好きな番組を選ぶことができる(当然その時間に放送されているものに限る)。新聞もテレビ欄を確認するツールとして大いに役立ったことだろう。
環境が変われば、社会が変化すれば、需給も変わっていく。映画館はいまだに魅力的なスポットではあるけど、少なくとも過去のようにお金持ち製造機みたいなものではなくなっているのは確かな話ではある。
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