「史実」を学ぶ前に「創作」を知ってしまったからではないかと。「創作」は「史実」を知っていればこそ、「創作」だと認識できるわけで。https://t.co/6pNBaHVYeS
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) September 25, 2020
元ツイートが削除されてしまったので間抜けな形になっているけど。某歴史小説家の小説内容を史実と誤認して色々と暴れる筋が定期的に出てくることに関して。結局のところ史実(事実)も創作も、それを学び自分の知識として習得するまでは、何か正しいかは分からないので、最初に史実だと思って習得したものを史実として知識にしてしまう。もちろんその創作が創作であると明記されていれば話は別だけど(中には創作と明記されていてもそれを史実だと認識してしまうケースもあるけど。「征途」の中曽根康弘氏がレイテ沖海戦の時に戦艦長門に主計中尉として乗艦していたという話が好例)。要は刷り込み効果という奴になるのか。
創作を史実と誤認して習得したあと、本当の史実と触れる機会があった時に、頭の中の知識を上書きして正しいものにアップデートできれば何の問題もないのだけど、上書きをしてよいかどうかの判断ができないと、自分の頭の中にある「史実(実は創作)」を史実だと固定化し、触れた「史実」を創作だ、ウソだと判断してしまいかねない。
創作か否か、つまり史実で無いかどうかについては、作品・情報そのものが「創作ですよ」と明確に宣言していない限り、確定することは難しい。世界史を知らない人に「昔は日本とドイツが世界を二分する形で対立していた」「ドイツは前世紀には南ドイツと北ドイツに分かれていた」と詳細な描写とともに説明したら、それを事実だと信じ込んでしまうかもしれない。
結局のところ、正しい知識を早いうちに、子供のうちに習得していくことは、この類の「創作、ウソ話を信じ込んで騙されてしまう」ことを回避する有効な手段となるわけだ。勉強は自分の選択肢を増やすだけでなく、間違った選択をしないためのお守りにもなるわけだな。
創作は創作だと認識できるからこそ楽しめるのであり、それを史実として誤認してしまったら、単なる宗教でしかなくなってしまうのだよね。
コメントする