「必死にガリ勉して東大に入ったら、勉強を楽しんだり楽にこなしたりしている天才をゴロゴロ見かけて絶望した」系の話をたまに見るが、あれって「才能の差を知って絶望した」というよりも「勉強できないやつはクズだ」という蔑視を内面化してしまってそれが自分にはねかえってきた絶望という感じがする
— スドー(@stdaux) September 24, 2020
「世の中にはすげぇ奴がいるもんじゃのぅ」で終わらず絶望しちゃうのは何でだろうと思ってたんですが、『自分自身が、それまで自分がバカにしてきた集団の一員だったと気が付くから』という仮説はある程度当てはまってそうですなあ>RT
— KGN (@KGN_works) September 25, 2020
自分の住んでいた地域の中学校ではトップクラスの成績を常にキープしていたのに、いざ高校に入ってみたら自分と同じレベルの人がごろごろいて絶望してしまった的な話。正に井の中の蛙大海を知らずというケースなんだけど、実際によくある話というだけでなく、漫画の導入というかストーリーの根幹の素材の一つとしても使われることがよくある。その人にとっては人生観をひっくり返す大きな事件に違いなく、話の土台としては良好な素材ではあるし、あるある感も結構あったりするから。
で、その時に感じる絶望感って、本当に自分がカエルでしかなかったとの認識だけなのだろうか、という話。実のところ自分がこれまで思っていた優越感の代償というか前提条件となる「自分より劣っている存在を蔑視する」が、実のところ自分自身にも向けられることが明らかになった、自分も蔑視される側だったことに気が付いたからこその絶望ではないかというもの。これも創作によくある話で、普段から他人と一緒に、むしろ積極的に魔族をいじめていたが、冒険の過程で自分自身も魔族だったことに気が付いてしまった、という流れのものとかね。
これが後悔とか悲しみとかを超えた絶望にまで至ってしまうのは、自分のこれまでしてきた蔑視などの行為が、すべてそのまま自分自身に返ってきてしまうから。自分で自分を否定してきた経験を肯定せざるを得なくなるから。何年、下手をすると何十年にもわたる蔑視がまとめて自分に降りかかってくる。この衝撃は何ものにも代えがたいものがある。そしてそれは気が付いた瞬間だけでなく、恐らくはずっと続いていく。これほど怖い、痛い衝撃は無い。絶望するのも当然ではある。
そのようなことが起きないようにするのにはどうすればいいのか。才能、能力などを基準とした蔑視はしないようにする、ということだろう。簡単なことではある。いや、その簡単なことこそが実は難しいのかもしれないけど。
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