発売当時はク●ゲー扱いされていたゲームも、情報の性質が変わった現在では、結構遊べるものになっているパターンがいくつかあって嬉し楽し。無論そのままというのも多々あるけれど。
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) October 25, 2020
発掘した昔のカートリッジスタイルのゲーム機を使って色々と昔のゲームソフトを遊びながら、当然今のゲーム誌に関連する情報はないため、ネットの情報をあちこちから探っているわけなんだけど。断片的なものだったり間違いなどに多々遭遇しながらも、それなりに情報をつかみ取ることができると、色々とそのゲームに対する評価が違ってきたりする。
発売当時はゲームの情報などそのゲームについてきた説明書以外では、せいぜい専門ゲーム誌で知ることができるぐらい。友人知人と情報交換をしたり、ジャンプなどの一般誌でもたまに情報が出ていたりするけど、大したものではない。中には公式の攻略本に掲載されている情報が無いとまともに遊べない、ゲーム付属の説明書からしていい加減・中途半端だったというレベルのものもある(良い例だとコー●ーのロイヤ●ブラッドとか)。
そういう情報の断絶というか孤立感というか独歩状態だからこそ、そのゲームの真意とか面白さとかが伝わりにくく、理解されにくかったというのもあるんじゃないだろうかというのが昨今感じている事。ネットで検索した情報を基にプレイしていると、かつて発売されていた当時に散々な評価だったものが、それなりに面白く遊べる場合が結構あるからだ。何で発売当時はこんなに叩かれていたのだろう、低い評価だったのだろう、と。
今のゲームソフトは新発売ともなればプレイしている人達の評価や感想や情報があっという間に広まっていくので、そのゲームの本当の味がほどなく分かるようになっている。少なくとも探りを入れれば、自分が知らなかった、分からなかった気付きを得られることは多い。
そういう意味でも、情報の価値・性質が大きく変化した現代で、かつてのゲームソフトを手に取ってみる価値はあるんじゃないかな、と思ったりする。もちろん、昔の評価がそのまま今でも、というケースも多々あるけれど。
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