iPhoneで写真撮ってて本当に変わったなと思ったのは肩肘張ってバッチリ決まった画角を昔ほど狙わなくなってて、歩いてて「いいじゃん」と思ったら自分に見えてる景色をパシャで水平もダメ、構図が変なのわかってても直さない、でもそこに居た気持ちが思い出せる、そんな方向に行ってるんだなと。
— hisagi (@hisagi) October 23, 2020
似たような話はデジタルカメラが普及しはじめた時にも言われていたことだけど。スマホの普及浸透と、そのスマホが搭載しているデジタルカメラの高性能化によって、カメラによる写真撮影とその写真自身の意義というか意味が随分と変化したよな、という指摘。報道カメラマンならともかく一般の人には、かしこまった形で記念の一枚を撮るというのが写真の定義みたいなものだったけど、今では自分の見聞きしたものの外部記憶媒体的な感覚でさくさくと撮っていくことができる。
ピンボケとかならともかく、構図が気に食わなくても構いはしない、自分の記録と言うよりは、記憶を静止画や録画で取得するという感覚に近い。フライトレコーダーとかドライブレコーダー感覚で日常生活を、というところなのかな。
ただこの感覚が進むと、それこそ眼鏡か何かにドライブレコーダーを連動させて、自分が常日頃から見聞きしているものを絶えず記録していくという時代になるのも、そう遠くはないのかもしれない。自分の経験を自分の視線で残していく。それこそRTSのゲーム披露みたいな感じ。
そういう観点で考えると、確かに写真の意味は変わってきているに違いない。目で見たり記憶することは、よほどのことが無い限り意図的にするものではなく、日常生活の中で当たり前にやっていること。それこそ呼吸をするかのように。それと同じ感覚になりつつあるということなのだろう。
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