目に見えない恐怖に対する耐性が極めて弱い人が、全数検査などの目に見える対策を求めて大騒ぎする傾向にある。その対策の実効性が乏しいことを説明されても、執拗に求める。
— 園芸家 (@engeikana) November 20, 2020
悪魔祓いや雨乞いの儀式といっしょ。
PCR検査の全数検査とか、ビジュアル的に目立つフェイスシールドとか、空間噴霧した次亜塩素酸とか。実情的にはあまり意味のない、むしろ害すら生じる方法について、信奉というレベルでの信用を置く人たちがいるのは否めない。メディアでは見た目がよいこともあり、それを後押しする雰囲気すら見受けられる。
結局のところその類のものを求める筋というのは、指摘の通り、実効用よりも、見た目や派手さ、分かりやすさ(正しいか否かは別)などを求め、それがあれば実際に大きな利益が得られるという誤認をしている。いや、自分自身を思い込ませるためのステップの意味合いもあるのかもしれない。効果が出なくても自分が納得できればそれでよい。効果そのものはダメだった時にはまた誰かの責任にすればいい、という感じ。
これって以前指摘した記憶があるんだけど、昔の人が説明がし難い現象に対し、天狗の仕業とか妖怪の仕業として無理やり納得させたのと同じ類のものなんだよね。まぁ、見方を変えれば、全数数値やら空間噴霧した次亜塩素酸やらは、そのレベルと同じということになるのだけど。妖怪退治のためにフェイスシールドつけるよ、的な。
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