その後に「我々が自らの意思で、発言や事実に関して正確を期すために取材先に確認を求める事はあり得る」とありますがそこは。
— k u r i t a(@kuri_kurita) November 19, 2020
その後に「ただしその際に取材先に都合良く利用されないようにすべし」(要約)とはあるけど、今問題にされているのは「発言内容」「正確性」に問題あり過ぎって不満では。 https://t.co/mNV83B21bP
『「取材先に事前に原稿は見せてはいけないという」という原理主義』
— k u r i t a (@kuri_kurita) November 19, 2020
そういう絶対不変の「原理」があるかのようなフリをして、実はそれを言い訳に使ってきただけだ、というのもバレてきちゃったな。
まさに「そういうことやってるから『事前に原稿見せろ』って言われても仕方ないよね」という事案ですね。https://t.co/PDK5sM2W59
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) November 19, 2020
コメントを求めた先に原稿を見せないということは、全ての報道は記者の主観であって、コメントよる権威付けは事実だという保証がないフェイクだということです。ジャーナリズムとは基本プロパガンダ、ということですね。NYT、横文字の東スポの報道はまさにそういう仕組みになっています。 https://t.co/4W9mkTmS7E
— buvery (@buvery) November 18, 2020
取材した内容を記事にする時に、取材元に事前のチェックをしてもらうか否かについて。編集権やらジャーナリズムやらを掲げ、そんな必要はない、むしろしちゃいけない的な主張をする筋が少なくない。ただそれらの権利的なものは、ジャーナリズムなりメディアなりが求められている責務を果たし、その名前の定義にふさわしい状態であるからこそ主張し行使できるものであって、責務も果たさずに権利をぶん回すのは、ただ飯ぐらいと同じぐらいにふてぶてしいとしか表現することができない。
「取材先に事前に原稿は見せてはいけないというジャーナリズムの原則」云々に取材を受ける側が猛烈に反発をしているのは、ジャーナリズムの大原則である「ウソを書かない」を平気で破り、後に判明しても訂正もせずに責任を取らない事例が多々あるからに他ならない。義務も果たさず権利ばかりを求めているのでは、反発を喰らって当然。というより、大原則を守っていないのだから、その取材はジャーナリズム云々ですらないという解釈もできる。
ルールを守らないのだから警戒をし、備える手段を取るのは当然の話。恐らくは以前から大原則を守らない状況はあったのだろうけど、SNSによって取材を受ける側の実情が横に連なる形で伝えられるようになり、認識理解されるようになり、備えるようになったまでの話。
正直なところ、このレベルの現状認識すらできていないジャーナリズムって、いったい何なのだろうかという懸念が。いや、疑問の方が適切か。
そして誤報・捏造報道によって不利益・不名誉を受けた側が訴訟を起こしてもマスコミに勝つことは出来ず、謝罪も訂正も受け入れてもらえず、必ず泣き寝入りすることになるからです。(例:2010年 朝日新聞・東京大学医科学研究所・がんペプチドワクチン記事損害賠償請求事件)
— 山翠 (@kx3g) November 19, 2020
取材先に「事前に原稿見せて」と言われてる時点で『取材先からの信頼が無い』という最悪の事態だと気が付くべき...これって取材先が「自分の発言が、本来の趣旨と無関係に切り取られたり、言ってないことを言ったことにされるかも」って不振を持ってるって事。
— 青木文鷹 (@FumiHawk) November 19, 2020
これが悪化すると「取材拒否」だからな。 https://t.co/bTPvWBRuoX
20年以上前の小説の後書きで「取材内容が一切記事にない、でたらめしか書いてなかった」と愚痴ってる先生いますから半世紀以上続いてるのかも。 https://t.co/Dc7v7J9bJP
— じょにべえ (@enuswinslow) November 19, 2020
まぁそうよね。要は「信用できない奴に自分の名前使ってフリーハンドで情報拡散させるのは嫌だ」って話よね。 https://t.co/dxRPcB8LkY
— テンプラ (@stra_duumn) November 19, 2020
見方を変えれば「原稿見せろ」と言われた時点で、信頼されていないという指摘は至極当然であるし、この類の話は遥か昔から言われていることなので、昔からの体質だったのだろう。それがバレて取材を受ける側にある立場の人たちの情報共有がされてきたまでの話。
これってジャーナリストが取材先の話を正確に要約できるという能力の高さと意図的に捻じ曲げないという誠実さを兼ね揃えていることを前提として通用する話なんだけど、少なくとも本邦のジャーナリストの平均点はそこまで達していないとしか思えない。 https://t.co/MTuIsxOygE
— ぽぽひと@wordタケノコ粒あん党 (@popohito) November 18, 2020
プロメテウスの罠というデマ記事に各種賞を与えている本邦ジャーナリズムに信頼なんて皆無なんだわ。 https://t.co/lzlJ0kfM2n
— d_i_s (@disk_1981) November 18, 2020
要するにこれらに反する。
— ネワノ (@One_of_Engineer) November 19, 2020
「いかなる利害からも独立し、偏見なく、かつ最大の誠実さを持って、あらゆる責務を実行しなければならない」
「ジャーナリストにとって最も期待される役割、すなわち、真実を公平に、誠実に、間違うことなく追究し報道するという責務」https://t.co/3Bz2DixedK
前提ができていないからという問題を理解できていないのが、ジャーナリズムを自称するメディア界隈の人達の悲しいところ。こういう主張でジャーナリズム論として教鞭を取っているのは、どうしたもんだろうか。
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