「無駄」と称して冗長性の確保を怠ってきた結果ですねえ...
— KGN (@KGN_works) November 26, 2020
ここ20年くらいの『無駄を省く努力』の結果ですね https://t.co/uOyDZLP77C
『冗長性』という概念、意外に理解しにくいのかなと思う今日この頃。
— KGN (@KGN_works) November 26, 2020
「無駄をなくす」が絶対必要でどんな時も例外なく正しい、と信じ込んでる人もいるからなあ...
それは「無駄」ではなく「緊急時に備えた冗長性」だよ、が理解できない。
病床の稼働率なんか典型ですね。
— KGN (@KGN_works) November 26, 2020
普段から95%を採算ラインに設定してれば、有事に増やせる入院患者の数は残り5%分。
普段の「無駄」を許さないと、パンデミックに対応しきれなくなる。
日常品の「備蓄」とかもそうだし、企業の「積立金」もそうだし、生産終了品の部品を予め多めに作っておくとかもそうだよなあ。
— 加藤AZUKI@追悼奇譚 禊萩/「忌」怖い話 小祥忌/「弩」怖い話 薄葬 (@azukiglg) November 26, 2020
例えばスケジュール管理をしている人ならすぐに理解はできると思うのだけど、予備とか遊びとか冗長性とかいう、余分な物的な概念はとても大切。思惑通りに物事が進めば何の問題もないし余ってしまうのだけど、何かあった時に穴埋めしたり代替させたりすることができる・できないの間には大きな差が開いてしまう。軍事的には機動予備軍の存在だとか、災害時のための保存食の備蓄なども同じ考え。
その類のものって往々にして、何も起きなかった時にはあまりもの扱いされてしまうから、はたから見てれば無駄なものになってしまう。非常食だって実際にそれを使うような災害に遭遇しなければ、賞味期限が切れかけた・切れた食品にしかならない。けれどそれを無駄扱いするのはおかしいのでは、ということ。
要するに保険の概念なんだよね。何もなければ、それを適用する機会が無ければ、ああよかったね、使う事態が生じなかったねということで、むしろ喜ぶべきものである。予備の概念とかは、何かあった時に対応する余地があるという安心を用意したという考えをすればよい。それを無駄扱いするのでは、言葉通り綱渡りを強要するようなもの。しかも安全策無しで。
企業の内部留保とか余剰金とかも同じ概念。あれを批判する人の多分は「使っていない金なのだから俺様に寄越せ」というのが本音ではあるけど、貯蓄の概念を知らんのかねとか、ならば貴殿の貯金は全部今すぐ使うべきでは、という返しをしたくもなる。
量が多い云々というのなら、まずはその役割を多分に担ってきた金融機関の貸し出しに関する信頼性を回復させよということに落ち着く。要はいざという時に頼りにすべき存在の金融機関が、頼りにならないことが貸しはがしで分かってしまったので、自分たちで余分な備えをしなきゃならないというまでのお話なんだよね。
コメントする